遺書

僕の生きてた証をここに

先生へ

今日、先生は僕を見て「たまがわ君は調子がいいときはしっかりとした目をしている。今は調子が悪いから、濁って見える。安静にしておきなさい。」とおっしゃいました。しかし、違うのです。

あの時の僕には大切な人がいました。つらい時には励ましてくれたり、優しく甘えさせてくれる人がいました。僕は、その人のために生きようと思っていました。だから、どんなつらいことでも乗り越えてみせると心に誓っていました。きっと、そのときの僕の目は澄んでいたのでしょう。

僕の心は希望に満ち溢れていました。多少不安はあったけれども、僕は信じていました。人が見たら依存関係に見えたかもしれません。それでもお互いに助けあってきた、つもりでした。

別れというものはいつも突然です。僕は少年のようにいつまでもこの関係が続くものだと思っていました。事実誤認が分かり、自らの非を認め、全ての誤解が解けた時、僕は一人ぼっちになっていることに気が付きました。

僕はまるで迷路に迷い込んでしまいました。

壊れた方位磁針で樹海をさまようように、僕はインターネットをうろつくようになりました。そのさまはまさに迷子、という言葉が似合うのでしょう。誰もいない、誰も助けてくれない、あの孤独の中に、かつて慣れ親しんだ憂鬱と狂乱の樹海に戻っていってしまいました。

酔いが冷め、気が付くとあの頃の自分に戻っていました。子供じみたワガママや理想、夢の世界に逃げ込んで、頭のなかで一人遊びをし始めました。それはそれは、虚しい一人遊びです。

僕はたとえ依存であったとしてもあの人が支えでした。あの人がいなければ、僕なんてこんなものです。これが僕です。濁った目で、いつも不満ばかり口にして、いつまでも大人になろうとしないクソガキです。

先生、これが本当の僕なんです。