遺書

僕の生きてた証をここに

デパケンR錠はバルプロ酸

ここ数日、頭の中が騒がしかった。よくわからない衝動に突き動かされ、よくわからないことをして、よくわからない後悔をした。といっても、いつものことなのであまり気にしていない。

昨日、医者に行くと、きっと躁状態だと思われたのだろう、抗鬱剤をギリギリまで減らしてバルプロ酸と抑肝散に処方薬が変更された。安定剤はそのまま。躁を抑えこむ処方だ、と思った。

バルプロ酸は昔からある薬で、製品名はデパケンという。躁状態を鎮めて、気分の昂ぶりを抑えて落ち着かせる効果があるらしい。僕は錠剤タイプのデパケンR錠という薬を寝る前に飲むことになった。量は分からないが、大きい飴玉みたいな糖衣丸のようだった。

処方が変わって次の日、世界が変わった。昨日までの脳髄の狂乱は全く鎮まり、凪いでいる。そして、昨日までの自分がどこかおかしかったことに気がついた。

気分が落ち着かず、ちょっとしたことでもイライラして、何かに急かされていた感情の奔流がなくなって、自分を取り戻したように感じる。一方で、狂乱を楽しんでいた自分の中の一部はお祭り騒ぎが終わったことを少し残念がっている。

本当の自分というものはなんなのだろうか?アクティブで、挑戦的で、好戦的で、アグレッシブな自分。それとも、保守的で、落ち着いていて、冷静な自分。躁と鬱、ふたつのエピソードの中で分裂した自己。

もしかしたらすべて、薬によって生み出された偽の自分かもしれない。

今朝起きたときはまるで薬でうつ状態にさせられているかのような気分だった。頭の騒がしさは消えたが、それとともに思考力やその他諸々まで何処かへ去ってしまったかのようだった。考えることもできず、漫然とただ生命活動をしている。自殺を考えるような余地すらない。何か変わらなければという切迫感もない。ありのままが、ありのままにある。そんな気持ちだ。

涅槃に入るとはこのことだろうか。僕の場合は修行ではなく薬の作用なのだが。

すべてが、ただあるがままでいいのだと思えるようになった。その一方で、なにもかもを手に入れようとしていた野心は息を潜め、何かをしようとする意欲が少しだけなくなってきた。

願わくば、このままずっと眠り続けていたい。なにもかも、このままで。

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