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遺書

僕の生きてた証をここに

夏休みの終わりと

夏休みが終わった。街に静けさが戻ってきた。子どもたちは学校、大人たちは職場へ帰る。そう思うと、あの気持ち悪いくらいの熱狂さえ愛しく感じる。

僕はニート。居場所なんかない。昨日も今日も、同い年の完全自殺マニュアルを片手に今日もそこら辺をうろついている。たぶん、人間としてオワコンなんだと思う。

いつも時代についていけなかった。気取ったフリして昔の音楽に酔って、古めかしい難しい本を読んで、斜に構えて社会批判とは名ばかりの文句ばかりの毎日。

なにもかもがウンザリしていた、そんな自分に今はウンザリしている。

僕が高校を卒業して気づいたことは、なろうと思わないと大人にはなれないってこと。もう何年前のことなのか忘れてしまった。時間が経てば勝手に結果はついてくると信じきっていた。そんな幻想に甘えていた僕は何もしなかった。次の年には勝手にクラスが変わって、勝手にクラスメイトが決まって、勝手につるむ連中も決まってくると、いつまでも信じてた。

高校から追い出されて、気づいたら僕だけが取り残されて、みんな大人になってしまった。虚しさだけが心のなかを占拠していた。刹那的に生きてた僕に人生設計なんてものはなく、僕は戸惑っていた。大学に入って、まるで何かから逃げるように単位、部活、バイトに打ち込んだ。そして、僕は壊れてしまった。いや、元から壊れていたのかもしれない。そして、社会不適合者の烙印を押された。

君たちの夏休みが終わっても、僕の夏休みは終わらない。毎週、英会話とフランス語を習いに行って、ふたまわりも年の違う同級生の大人たちに気を使いながら、生きている。なんの役に立つのか、なんのためにやってるのか、もう分からなくなってしまった。

こんな日だからなのか、死にたくなる。死にたいって、もう何万回言ったかさえ覚えていない。

死にたいって思い始めたのはいつからだろう。よく覚えていない。 中学生くらいだっただろうか。

それ以前は、むしろ他人を殺すことばかり考えていた。幼稚園の終わりから小学生の時は、まわりの人間をみんな殺せば自分が幸せに慣れると本気で信じていた。だから、僕の頭のなかはいつも大量殺人計画でいっぱいだった。そして、そんな自分に酔っていた。

中学生になったら、少しは賢くなったのかもしれない。だって、僕の関係者を皆殺しにするよりかは自分が死んだほうが圧倒的にエコだ。その時の僕にとって、社会は問題ばかりの生きるに値しないゴミクズの掃き溜めだった。なんて狭量な世界観だろう。でも僕は本気だった。だから、そんなところへ行くぐらいなら死んだほうがマシなんだと。まだ、僕は中学生の僕を説得することが出来ない。

実際、社会にはいろんな人がいて、理不尽で不条理な現実と闘いながら精一杯頑張ってる人達がいる。僕は社会で職を持ってうまく適応出来ている人たちを心から尊敬している。それに比べれば、ゴミクズは僕の方だ。

でも、やっぱり社会が病んでることは間違いないと思うし、異常な犯罪も起きる。接客業をすればムカつくクレーマーは来るし、内勤の人だって仕事や人間関係で悩んでいる。営業職は毎月の売上を競い合い、ココロをすり減らしている。

世の中の人はみな幸せになりたくて生きてるはずじゃなかったのか?どうして共生できないんだ?どうして傷つけ合わなくちゃいけないんだ?世の中はやっぱり理不尽なことばかりだ。

僕は死にたくない。死にたくないんだ、ずっと前から。僕は幸せでいたくて、幸せになりたくて、僕を不幸にするものが許せなかった。きっとそういう信念は大事だったんだと思う。問題は、思ってるだけで何もしなかったことだろう。

俺は今何をしてるんだろう。前に進めているのだろうか。道を誤ってはいないだろうか。僕はこの先も生きていけるのだろうか。

不安で、仕方ない。

怖い。

怖い。