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遺書

僕の生きてた証をここに

昨日

妄言

死のうとしました。すごい鬱でした。

頭のなかはもう死ぬことでいっぱいでした。酒とクスリをキメてビニール袋をかぶろうかとか、ビニール紐で首を吊ろうかとか、そんなことがずっと頭のなかをぐるぐる回り続けていてまともに考えることさえ出来ませんでした。

どうしてこんなことを考えたのかと思うと、たぶん最近のTwitterの使い方なんだと思うます。

僕は完全にTwitterに依存していました。暇さえあればTLを見て、知ってる人がいたら絡み、面白ツイートを見つければ引用ツイートをする。たったこれだけのことにほぼ一日を費やしていました。

でも、ほとんどのアカウントユーザーは僕よりも年下で、時には僕の今の現状を理解してくれないこともあります。それは仕方ないと思いますし、非難する気もありません。ただ、僕だけが悪かったのです。

完全に甘えていました。

いつもこうなんです。何でもかんでも依存して、疎まれて、その繰り返しです。「ボクはメンヘラだから〜」なんて言い訳をして、居場所がないことに腹を立てて落ち込む。

おかしいんです。キチガイなんです。だから、僕が死ねば解決するんだ。これも繰り返しです。僕を長く知ってる人はきっと「早く死ねよ」とか「さっさと自殺しろ」と思うでしょう。無理も無いと思います。僕はずっと、ずっと昔からこうでしたから。

僕の同級生だった人たちはもう立派な社会人になっている人もいます。ということは、もう立派な労働者、納税者です。

僕は精神科通院に際して自立支援医療の証明書を使っています。それを使うと精神科関係の諸経費が3割負担から1割負担になります。つまり、僕は同級生だった人たちのお金を人より余分に使っているのです。その上、働いてもいないので医療費は両親に負担してもらっています。

やっぱり、僕のようなクズは死んだほうがいいのでしょうか?

死んで欲しいなら死にます。そして確実に死ぬために首を吊ります。これは小さな僕の小さなポリシーです。

誰にも迷惑をかけたくないし、かけられたくもないです。

僕が死んだら生ゴミみたいに捨ててください。火葬の費用さえももったいないです。コンポストか何かの中で肥料になる方がきっと人の役に立つと思います。僕は所詮そんなものです。もはや人間と呼ぶことさえおこがましい。

僕は人間もどきです。きっと僕を殺しても殺人罪は適用されないと思うので、誰か憂さ晴らしに人殺しをしたくなったら僕のところへ来てください。同じ気分が味わえるかもしれません。

夏休みの終わりと

妄言

夏休みが終わった。街に静けさが戻ってきた。子どもたちは学校、大人たちは職場へ帰る。そう思うと、あの気持ち悪いくらいの熱狂さえ愛しく感じる。

僕はニート。居場所なんかない。昨日も今日も、同い年の完全自殺マニュアルを片手に今日もそこら辺をうろついている。たぶん、人間としてオワコンなんだと思う。

いつも時代についていけなかった。気取ったフリして昔の音楽に酔って、古めかしい難しい本を読んで、斜に構えて社会批判とは名ばかりの文句ばかりの毎日。

なにもかもがウンザリしていた、そんな自分に今はウンザリしている。

僕が高校を卒業して気づいたことは、なろうと思わないと大人にはなれないってこと。もう何年前のことなのか忘れてしまった。時間が経てば勝手に結果はついてくると信じきっていた。そんな幻想に甘えていた僕は何もしなかった。次の年には勝手にクラスが変わって、勝手にクラスメイトが決まって、勝手につるむ連中も決まってくると、いつまでも信じてた。

高校から追い出されて、気づいたら僕だけが取り残されて、みんな大人になってしまった。虚しさだけが心のなかを占拠していた。刹那的に生きてた僕に人生設計なんてものはなく、僕は戸惑っていた。大学に入って、まるで何かから逃げるように単位、部活、バイトに打ち込んだ。そして、僕は壊れてしまった。いや、元から壊れていたのかもしれない。そして、社会不適合者の烙印を押された。

君たちの夏休みが終わっても、僕の夏休みは終わらない。毎週、英会話とフランス語を習いに行って、ふたまわりも年の違う同級生の大人たちに気を使いながら、生きている。なんの役に立つのか、なんのためにやってるのか、もう分からなくなってしまった。

こんな日だからなのか、死にたくなる。死にたいって、もう何万回言ったかさえ覚えていない。

死にたいって思い始めたのはいつからだろう。よく覚えていない。 中学生くらいだっただろうか。

それ以前は、むしろ他人を殺すことばかり考えていた。幼稚園の終わりから小学生の時は、まわりの人間をみんな殺せば自分が幸せに慣れると本気で信じていた。だから、僕の頭のなかはいつも大量殺人計画でいっぱいだった。そして、そんな自分に酔っていた。

中学生になったら、少しは賢くなったのかもしれない。だって、僕の関係者を皆殺しにするよりかは自分が死んだほうが圧倒的にエコだ。その時の僕にとって、社会は問題ばかりの生きるに値しないゴミクズの掃き溜めだった。なんて狭量な世界観だろう。でも僕は本気だった。だから、そんなところへ行くぐらいなら死んだほうがマシなんだと。まだ、僕は中学生の僕を説得することが出来ない。

実際、社会にはいろんな人がいて、理不尽で不条理な現実と闘いながら精一杯頑張ってる人達がいる。僕は社会で職を持ってうまく適応出来ている人たちを心から尊敬している。それに比べれば、ゴミクズは僕の方だ。

でも、やっぱり社会が病んでることは間違いないと思うし、異常な犯罪も起きる。接客業をすればムカつくクレーマーは来るし、内勤の人だって仕事や人間関係で悩んでいる。営業職は毎月の売上を競い合い、ココロをすり減らしている。

世の中の人はみな幸せになりたくて生きてるはずじゃなかったのか?どうして共生できないんだ?どうして傷つけ合わなくちゃいけないんだ?世の中はやっぱり理不尽なことばかりだ。

僕は死にたくない。死にたくないんだ、ずっと前から。僕は幸せでいたくて、幸せになりたくて、僕を不幸にするものが許せなかった。きっとそういう信念は大事だったんだと思う。問題は、思ってるだけで何もしなかったことだろう。

俺は今何をしてるんだろう。前に進めているのだろうか。道を誤ってはいないだろうか。僕はこの先も生きていけるのだろうか。

不安で、仕方ない。

怖い。

怖い。

墓標のかわりに

挨拶

URL変えてブログを作り直しました。

理由を考えると色々あります。

前のブログは一般読者をターゲットにした普通の記事を書こうとしていたことです。だから、色んな本のレビューとか、オピニオンを中心にジャーナリスト気取りのことをして、アクセス数を稼いで、いずれはアフィリエイトとか金儲けのためと思ってやってました。

でも、もう疲れました。Twitterでフォロワーを無理やり増やしたり、google検索に引っかかるようなワードを選んだり、知識人ぶってスノッブなことをつらつら書くのは疲れました。そして、ブログに書けることがどんどんなくなっていって自分で自分を追い込んでいました。つまり、僕にはそんなマネは出来なかったということです。

僕はただ、酔った勢いでポエム気取りのことをズルズル書いている方が好きです。

だから、このブログのタイトルは「遺書」です。ただの雑記帳です。僕が生活の中でどんなことを感じ、思い、そして死んでいくのかをこれから綴っていこうと思います。

これはビジネスではありません。完全に自己満足です。

死ぬ死ぬ詐欺で人気者になりたいとか、思われるかもしれませんが、まぁそう思われても仕方ないと思います。でも、22歳になった今でも時々死にたくなるときは多々あります。僕は幸か不幸か嘘がヘタクソなので、ほとんど本音です。明日もまた生きてるのか、衝動的に自殺を試みるのか、どうなんでしょうかね。

僕は人間のクズです。ゴミです。分かってます。さっさと死んだほうが社会のために決まってます。でも、どうかしばらく僕になにかを語らせてください。きっと語ることが自分自身への供養であり、これを読んでくれることもまた供養なんだと思います。だから、墓も葬式も必要ありません。ただ、ここに僕がどう生きてきたのかが書いてある限り、それが僕の墓標です。

もし死体の処理に困ったら、火葬場で焼いて、共同墓地に入れるなり捨てるなり、好きにしてください。あと自殺する時にはなるべく周りを汚さないように気をつけます。立つ鳥跡を濁さずというやつです。

いつか僕が消えるまで、どうかよろしくお願いします。

HN:tamagawa